サラリーマン金融

サラリーマン金融の発祥

サラリーマン金融という名称は現在ほぼ死語になっていますが、消費者金融の元の名称です。昭和30年代以前、それまでの庶民金融といえば物を預けてお金を借りる質屋こそが一般的で、まだまだ庶民が信用を担保にしてお金を借りるといった発想は生まれていませんでした。

昭和30年代に入ると、国内は高度経済成長によって庶民の暮らしも向上し、生活レベルも次第に上がっていきました。都心への通勤圏内には高層団地が建築され、生活一式がすべて揃った当時の団地は、庶民が最も憧れる存在だったようです。実際、団地に入居していた人も生活レベルの高いサラリーマン家庭が多く入居していました。

団地金融

そういった中流家庭の団地に住む主婦を相手に、金貸しを始めたのが団地金融と呼称される金融業者です。団地金融の特徴は、これまで一般的であった物を担保にお金を貸すという質屋のような形態ではなく、人の信用を担保にして融資をしたことです。今でこそ一般的となっている信用担保ですが、当時では画期的なシステムだったのです。

実際、それまで庶民の金融を担ってきた質屋などは、その信用担保に対して懐疑的で、中にはそんなもの担保にしてお金を貸せば絶対に戻ってこないと言い放つ人もいたようです。

しかし、一般庶民にとってみれば、それまでお金を借りるにしてもいちいち金目の物を持参しなければならなかったことが、無担保で借りれるということで瞬く間に浸透していったことは、時代が証明していることです。

団地金融

サラリーマン金融の誕生

団地の主婦を相手にしていた団地金融は、次第に勢力を伸ばして団地のみではなく街中に進出していくこととなります。当時、警察庁が示していたサラ金の定義は「貸付対象を主にサラリーマンと主婦とし、無担保で少額の金銭貸付をする業者」となっています。

裏通りのような人目につかない場所で営業をしていた質屋と違い、サラリーマン金融は駅前や盛り場のような人目に付く場所に店舗を構え、大きな看板や宣伝チラシを駆使し、顧客を集めていたことも特徴の一つです。

昭和35年に東京で発症したサラリーマン金融ですが、一部のサラリーマンには重宝されたものの、然程広がっていくことはありませんでした。しかし大阪に飛び火してから急速に広がり、昭和40年代に入ると東京に逆輸入されることとなります。おりからの高度経済成長に乗って、「消費は美徳」「消費者は王様」といったキャッチフレーズに感化された庶民が、サラリーマン金融でお金を借りて物品を購入していったのです。

サラリーマン金融

雨後の筍のように乱立したサラ金業者

とにかく当時のサラ金業者は儲けていたといいます。何しろ当時の上限金利は109.5%という今では考えられないような利率で、しかもそんな金利でもお客は面白いように集まったといいます。元金は一年で倍になり、それが雪だるまのように大きくなっていくのだから笑いが止まりません。

そんな儲かる商売ですから、サラ金を開業する人たちが増えてそれこそ雨後の竹の子のように乱立することとなります。現在最大手のプロミス、アコム、レイクといった企業も、この時代にサラリーマン金融を開業して勢力を伸ばしていったわけです。

大手サラ金業者

下降線を辿る

全盛を誇ったサラリーマン金融でしたが、昭和48年に入るとオイルショックによる不況が影響して会社の倒産、失業が続出します。当然のようにひところの消費熱も冷え込み、サラ金を利用する顧客の数も次第に減っていくこととなります。

金融業者はお金を貸さねば儲けになりません。サラ金業者の多くは、それまで融資を断っていたような客にも競って融資を始めることとなります。乱立状態にあったことから、それはまさに「過剰融資」「無選別」といった形容にあてはまるようなもので、その結果大量の融資金の回収不能状態となってかえってくることとなります。

当然、サラ金業者は未回収を放置するはずもなく、執拗な取り立てをします。当時はまだ取り立て行為についての明確な法律もなかったことから、大手であったも過酷な取り立てを敢行していたことは多くの証言で明らかとなっています。その結果、多くの自殺者を生み出していき、やがてはそれが社会問題となって提起されるまでに至ったわけです。

調査結果によると、サラ金の利用目的として「ギャンブル」が一番にあげられたことが、もはやサラ金不要論にまでつながっていき、サラリーマン金融の名称は地の底に落ちていくこととなります。