東映のトーエーローン

大企業によるサラ金業界への進出

サラリーーマン金融全盛の時代(昭和30年代後半〜昭和40年代後半)、大企業によるサラ金業界参入も珍しくありませんでした。かの自動車大手のトヨタでさえも「タカナワ」という別会社を作って参入していたわけですが、映画会社大手の東映が参入したのは昭和48年のことです。

トーエーローン

一店舗に3、4名ずつ社員を配属させることで高齢者対策にもなっていたようですが、昭和40年代後半のサラリーマン金融問題(過酷な取り立てによる自殺者続出)によるイメージ悪化、さらには昭和50年以降になると近場に同業者も増えて顧客を取られることとなり、顧客や貸出残高も軒並み減っていくこととなります。

外資系企業による影響

国内の同業者による過当競争もさることながら、昭和52年になると外資系によるサラ金参入が伝えられると、大手を中心として利下げに踏み切る業者が増えてきます。といっても、当時の上限金利は109.5%だったことからそれを70%程度にまで下げるということで、現在の感覚からすれば常識外れの高利だったわけですが。

しかし利下げをすることで収益が下がることに帰結し、その結果トーエーローン内でも、高給取りであった高齢社員に代わって若い女子社員を変えようとする動きが表面化してきます。人件費削減こそ財政健全化には一番の特効薬であることは誰もが考えることですが、設立の趣旨であった高齢者対策に反するということでトーエーローン社長であった東映常務は疑義を唱えます。

事業撤退

サラリーマン金融のイメージ悪化と同業者による過当競争、更には会社内の高齢者対策もかなわないということで、昭和52年に事業撤退を決断します。昭和52年8月に新橋店閉鎖、昭和53年4月に銀座、日本橋店での新規融資をストップし回収業務のみ行うこととなります。それ以降は東映本社の一角で続けられていたというから、滑稽な話です。

当時の社長はこのように話しています。

「他の同業者は10人の来店で8人くらいには融資をするのに、トーエーローンは10人のうち1人にしか融資をしなかった。したがって同業者が一店舗で数億円もの貸し出しをするにもかかわらず、トーエーローンでは全店舗で1億数千万の貸し出しにしかなっていない。これからはもっと融資を増やして いかねばやっていけない。しかし貸すだけなら誰でもできますが、回収業務は素人には無理だったのです」